『青山真治クロニクルズ展』会期終了の前日、12月16日(土)に俳優の斉藤陽一郎さん、三宅唱監督、青山組常連スタッフの佐藤公美さんをお招きしてギャラリートークを行い、多くのお客様にご来場いただきました。
青山作品に最多出演している斉藤さんは、「いつかこういう機会が来るのでは」と、ずっと大切にしていた『EUREKA』秋彦パーカーを二十数年ぶりに着用して登場。また、三宅監督は、斉藤さんが用意した『サッド ヴァケイション』間宮運送のスタッフジャンパーを着て、青山組の一員として、トークに挑みました。
斉藤さんは、『Helpless』出演の経緯について、「青山監督のデビュー作『教科書にないッ!』出演後、監督に何度も「連絡先を教えて」と頼んでもかわされた。次回作に出たくて、人づてで何とか監督にコンタクトが取れ、「オーディションがあるから来い」と監督に誘われて行った先は、キャスト全員揃っていて、いきなり本読みだった。この時から、『何?この北九州の感じ』は始まった」と話し、笑いを誘いました。
三宅監督からは、「一番憧れている人。高校3年の時に『EUREKA』を観て、日本の景色をこんな風に無茶苦茶カッコ良く撮る人が日本映画(界)にいるんだと驚いた」と青山作品との出会いを語りました。また、「改めてシナリオを読むと、声が聞こえてくる。楽譜のような脚本」と話すと、佐藤さんも「音と画と文章の繋がりがよくわかる。設計図として優れたシナリオを書いていた」と解説。
作品に関する話だけでなく、青山監督の愛され次男坊キャラの話や、映画鑑賞でたびたび感動して人目をはばからず号泣するエピソードなど素顔に迫る話も。
最後に、お客様から「青山監督から受けた影響、それを何に活かしていくのか。今後の展望は?」との質問があり、
「青山さんといた時間があったからこそ自分にしか出来ない何かがあると思う。『EUREKA』の中で兄の直樹がテレパシーで妹の梢に「海を見に行け」というセリフが印象的で、監督から「映画を観続けろ」と言われていると感じる。勉強し続けようと思う。青山さんが命がけで映画の世界に向き合ったように、自分も映画に向き合っていきたい。」(斉藤さん)
「青山作品は観れば見るほど発見がある。青山さんがやってきたことは、映画とともに世の中の事をずっと考えようとしていた。同業者として、そこが面白い。映画だけでなく、多方面の事を勉強していた。素直にカッコいい。最新の事を見続けようとして、ずっと世界の最先端に挑戦しようとしていた。負けたくない。」(三宅監督)
「感謝しかない。青山監督は創り手であると同時に観客としても映画を見て・考えて・書く。そういう形で映画史を考えていた人。その監督から受けた影響を次の世代に引き継ぎたい。青山監督に限らず、90年代以降から2010年代まで日本の映画界で活躍した映画業界の監督やプロデューサー、制作、配給、興行など様々な立場の方々のドキュメンタリーを撮りたいと思っている」(佐藤さん)
との言葉で締めくくられました。展覧会最後のギャラリートークとして、本当に充実したお話の数々でした。
そして…実は、トーク中、斉藤さんが監督をイジるとマイクがオフになり、良い話になると急にマイク音があがる謎の現象が発生。
監督はやはり、そこに居たのでした。